2010/09/02

登校刺激

藤本先生がスケジュールを調整して下さり9月2日に登校刺激を行うことになりました。

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登校刺激当日・・・

先ず訪問のN先生・S先生・私・家内の4人がでファミレスで会い、N先生から登校刺激の大体の流れを説明して頂きました。

3時頃、訪問の先生方がまず家に入り4時頃に私と家内と藤本先生がそこに入って藤本先生が息子に対して色々な視点から話をして行きます、と。

「長い時間掛かると思いますので今日の夕食は食べれないと思っておいてもらった方が良いと思います」と言われ「1日で話がまとまらない場合は明日も行いますのでそうなれば結論は明日になります」とも言われました。

この打ち合わせの場に藤本先生が合流する予定でしたが藤本先生の前の予定がなかなか終わらないようで到着までもう少しが時間が掛かりそうなので先にN先生とS先生が自宅に向かい家に入って頂きました。

その後、暫くして私と家内の待つファミレスに藤本先生が到着されました。
3人で最終の打ち合わせをし藤本先生が資料を元に現在の状況や今までの流れを確認していきます。

家に入った時、息子が始めて藤本先生に会うので万が一息子が逃げ出す場合も想定して部屋の間取りも確認されました。(前もって信頼関係の出来ている訪問の先生がその場に居てるので逃げる事はないだろうと考えられますが念の為確認しました)

息子が居てる部屋に入る順は「先頭に私、続いて藤本先生、その後に家内」と言う順に並んで入ります。

車でファミレスを出て自宅に向かいました。
駐車場から歩いて自宅に入り私が先頭になり訪問の先生方と息子の居る部屋に入りました。(私と家内の緊張は相当なものでした、遂にこの時が来たかと思い後は藤本先生に全てを任せようと心に決めました)

私の後ろに続いて部屋に入られた藤本先生が息子に声を掛けます。
「○○○○!(息子の名前)」

藤本先生から私と家内に「ご両親は席を外してもらえますか」と部屋から出て行くように指示があり他の部屋に移動しました。

藤本先生が息子の名前を呼んだ時、それまで訪問の先生方とゲームをしてリラックスしていた息子の表情が一瞬で険しくなり、とっさに立ち上がっていました。

「突然家にやってきたこの人は一体誰?」と思った事でしょう。

16時、藤本先生の登校刺激が始まりました。

最初は藤本先生と息子だけで話をして下さいました。
訪問の先生方はいつ呼ばれても部屋に入れるように家の違う場所で待機して下さっていました。
暫くして訪問の先生が部屋に入ったり藤本先生が外に出たりと息子との話の進み具合で随時出入りがありました。

その都度、藤本先生から状況を話して頂きました。
まず息子の「学校に行きたい」という意思があるという事を話して下さった時、家内は今までの莫大な不安から胸をなでおろすような「ホッとした気持ち」になったようでした。

その後息子のさまざまな気持ちを引き出しながら話をして下さいました。

話の内容は「私立(在籍校)に復学する事を前提に進めていますが公立に転校する選択もあると言う事も話した」という事でした。
流れ的にも「親が望んでいるように私立に復学する形で進めていますので・・・」と言った感じでした。

しかし息子が「復学しても高校は受験して他の学校に行きたい」と言ってる事を聞いた時は全く思ってもいなかった事なので驚きました。
藤本先生が「その事の意思が強いようです」と話され、その時の心境は私も家内も複雑でした。

午後9時頃、藤本先生から話があり「大体のメドは立ちました」と。
「今からここ(私と家内が待機している部屋)に連れて来て本人から話させます」と言われました。

暫くして藤本先生と息子が部屋に来ました。
息子も正座して表情も真剣です。

そして息子が話しました。
「まだ私立(復学)に行くか公立(転校)に行くかは決めてませんが今家に来てくれているNさん・Sさんに手伝ってもらって10月7日から学校に行きますのでそれまで家に居させて下さい」

藤本先生が息子に「お母さんに言う事は?」と声を掛けると
「学校に行ってない間、御飯を作ってくれたのに食べなかったりしてすみませんでした。
部屋の壁に物を当ててしまい傷つけてすみませんでした。お姉ちゃん達が勉強しているのにうるさくしてすみませんでした」

藤本先生が「お母さんに暴言を吐いたり何でそんな事をしたのか」と聞くと暫く黙っていましたが「家に一人で居て寂しかった・・・」と息子が手で涙を拭いながら言いました。
(家内も涙ぐんでいました)

藤本先生が「お父さんに言う事は?」と声を掛けると「学校に行ってないのに僕の為に働いてくれているのにすみませんでした」と息子が言いました。

藤本先生から息子に「学校に行っていないのだから漫画を買いに行く等、昼間の外出は禁止。お姉ちゃん達に文句を言うことも禁止」と登校するまで問題行動を禁止するように指示が出て息子もそれに「はい」と答えました。

長時間掛かりましたが息子の口から「学校に行く」と言う言葉を聞いたときは言葉が出ない状態になりました。
藤本先生が色々な角度から息子に接して本人の本当の気持ちを引き出して頂けたと思います。

その後、藤本先生と息子が部屋を出て息子はN先生とS先生が居てる部屋に行きました。
(この時藤本先生が息子の体に触れながら歩いている姿を見たときは息子にとって藤本先生は恐い存在ではありますが絶対的な信頼をしていると感じました)

藤本先生が私と家内の居る部屋に戻ってこられ「学校に行く意思はありますが復学か転校かで相当迷っています」と言われました。

暫くしてN先生から藤本先生に連絡があり「息子が復学か転校を決めるのに2週間待って欲しいと言っている」と。
藤本先生は「考える期間が2週間と言うのは長すぎるし時間をかけても結論は同じなので一晩で考えて明日には決めるように」と言われました。

息子もそれを聞き翌日にS先生が訪問して下さる事になっていますので、その時までに決めてどちらにするかと言う事になりました。

私と家内も息子がどちらに決めるだろうか、と色々な事を考えました。

復学すれば10ヶ月も通っていないので居場所があるのだろうか、
勉強の遅れを取り戻しその上に受験までするのは可能なのだろうか、
中高一貫校なので他の高校を受験する事は難しいのではないだろうか・・・

転校するとしても全く未知な学校に息子が入っていけるものなのか、
学校は受け入れてくれるのだろうか、
もし転校先でも登校出来なかった場合の事など不安なことばかりが次々と出てきました。

息子本人が希望して受験して通った学校なので復学する事が出来れば他の多くの生徒と同じようにそのまま高校に上がる事になると考えていましたがそれは親の解釈で息子はそうは考えていないようでした。

藤本先生が「私立に復学させる事は出来ない事ではありませんが本人の意思ではなかった場合問題が出る事が考えられます」と言われました。

私も家内も「息子の意思を尊重してどちらを選んでもで支えて下さい」と藤本先生にお願いしました。

時間は11時を回っていました。帰られる際に藤本先生が「暫くファミレスで待機していますので、何かあればいつでも連絡してきて下さい」と仰って下さいました。

帰り際に藤本先生が「マニュアルはないのですよ」と話されました。

私もそう感じました・・・
「息子本人がどう考えているかわからない状態で親の考えでだけで解決出来るものではないと言う事がわかりました。家庭環境・学校・両親・子供、それぞれが複雑に絡み合っている中から解決の糸口を見出して行くにはマニュアルでは決して出来ないものだと実感しました。登校刺激を行って頂いている間にも色々な事柄が出てきてその都度先生方が対応して頂けたから解決の第一歩を踏み出す事が出来たと思いました」

藤本先生・N先生・S先生が帰宅後、息子が風呂に入った後顔を合わせましたが、表情にも険しさは無く穏やかになっているように感じ、家内への態度も変わっていました。

復学か転校かは相当悩んでいるのが見て取れますが悩んで当然の事だと思いました。

長い長い一日が終わりました。
藤本先生・N先生・S先生、ありがとうございました。



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5 件のコメント:

  1. 登校刺激の記事、興味深く読ませていただきました。

    我が家もこの日がないと、動き出すことができなかったと痛感しています。
    ラムネさんの目を通しての場面の状況がとてもリアルに伝わってきました。

    よく支援を受ける前の方は、『登校刺激』という言葉で不安を感じられるそうです。
    けれでも、支援を受けた者として、これは必要な厳しさなのだと、感じています。

    息子さんが藤本先生を信頼している様子が、うれしいですね。

    決してマニュアルのない復学支援。
    復学に向けての記念すべき長い一日ですね。

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  2. ちゃろさんへ

    確かに「登校刺激」という言葉に不安があると思います。全く動いていない状態の子供を動かす為に刺激を与えるわけですから。

    FHEの場合は復学以外になる可能性もあると思いますので「登校刺激」と言うよりは「子供の本当の気持ちを引き出す為の通過点」ではないかと思います。

    マニュアルがあるなら不登校問題が今までに解決している筈だと思います。

    通常の考え方では解決出来ないと気付いたから支援を受ける事を決めました。

    復学出来るかどうかはわかりませんが止まっている状態の子供を動かす為には「登校刺激」は避けて通れない事だと思います。

    一生忘れる事の出来ない長い一日でした。

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  3. 文字を追うのももどかしく、読み進んでいきました。

    息子さんは、私立から公立へと転校という形をとっての復学だったのですね。「通っていた学校」に戻るのとは違う難しさ。息子さんはもちろんですが、見守るご両親の精神的負担もかなりのものだったと思います。

    うちの長男も中高一貫高(高等部からの入学もあり、長男は「一貫クラス」になります。)に通っています。一応受験はしましたが、定員割れでほとんど全入だったという学校なんですけれどね。
    昨年のバザーの時に、上級生のお母さんから聞いたのですが、「やりたい部活がある」「この学校が合わない」などの理由で、他の高校に移りたいという3年生に対し、「ここは中高一貫だから」という理由でこの中学からの受験を認めず、そのお子さんは一度公立中に転校し、そこから高校受験を余儀なくされたそうです。学校側の言い分もわからなくはないけれど、やりきれなさの残る話でした。

    「登校刺激は起爆剤」という言葉を聞いたことがあり、とても印象に残っています。
    本当に、この日がなかったら次男は家の中から動き出すことができず、たぶん今もリビングで本を読み、食べることと、兄妹が帰ってくるのを待つだけの日々だったと思います。

    こちらも(私は中部地区在住です)だいぶ寒くなってきましたが、今日も次男はランニングの体操着で走り回っていることと思います。
    ラムネさんもココアさんもお身体に気をつけて下さいね。

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  4. ごめんなさい。ちょっと間違えました。
    長男は中高一貫校の中等部2年です。

    わかりづらくしてしまいました(汗)
    すみません~。

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  5. かのんさんへ

    不登校の期間が10ヶ月と長かったので「戻り難い」と息子本人が感じていました。

    登校刺激をして頂くまで、公立への転校は全く考えていませんでしたのでその選択肢が出た事を受け入れるのが大変でした。

    小学校5年から塾に通い家族で受験に臨み、やりたいクラブがある学校に通っていて息子自信も楽しんでいましたので復学しか考えていませんでした。

    復学支援を受けていなかったら現在も昼夜逆転が続きその先の進路も不明の状態だったと思います。

    現在、公立中に全日登校出来ていますので「息子にとってはこれで良かった」と思えるようになりました。

    一貫校からの高校受験は本当に難しいと思います。
    6年間での教育を考えている学校が多いと思いますので途中で他の高校に行きたくなった場合、仕組み上難しいのでないかと思います。

    息子さんも我が家と同じ中学2年生なんですね。
    多感な頃ですので難しい事も多いと思いますが誰もが通る道だと思いますのでお互いに頑張っていきましょうね。

    寒くなってきました。
    昨年、インフルエンザがきっかけで休み出しましたので親子共々体調には気をつけたいと思っています。

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